2006年7月23日

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僕の人生の転機となった日。
中日ドラゴンズの福田くんの誕生日でもあるこの日。
高校3年生の夏の大会、ベスト8をかけた戦いで負けた。
横浜商大高校、相手ピッチャーはその後高卒でプロになった松山くん。
今はどこで何しているのだろう。

間違いなくあの日が僕にとって
終わりであり、始まりとなった日だった。

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「敦士、いろいろと苦労かけてごめんね」
試合後、家に帰った後に母親に言われた言葉。
「何をおっしゃるお母様」
普通に考えて、僕から母親に感謝を告げるタイミングだった。
でもそれは、大学で野球を続けることが無理だという意味でもあった。
薄々気づいていた。流暢に野球なんて続けていられない。
そもそも大学に行くかどうかすら悩んでいた。

さっさと働いてお金を稼いでしまいたかった。
さっさと気兼ねなく外食できるくらい、
財布に1000円札がない時間がないようになりたかった。
プロの野球選手への道を正式に諦めたタイミングだったと思う。
そして、この日を境に、プロの社会人としての道へスタートを切ったタイミングだった。
3日後にはバイトをスタートしました。お世話になった佐々木塾で。
同じ日に、日吉では大学野球部のセレクションが行われていました。

波乱万丈だった高校時代、野球どころではなかった。
周りは金持ち、うちは薄い壁の狭いアパート。
星雲高校にツギハギの学ランで通う星飛雄馬のような心境だった。
逆に星飛雄馬のような前例があったから頑張れたのかも。

社会人になってから3度入院し、
今もなお身体をフルMAXで酷使しながら働く今でも、
かなわないなと思うくらい働いていた母親。

文字通り倒れるまで働く姿を目の当たりにしていた。
社会人になり、海外旅行をサクッとプレゼントできるようになった。
次は世界一周旅行でも行ってもらいたい。
そこでたくさん写真を撮ってきてもらい、一番いい写真を遺影に使おうか。

あれから10年たった。
生活はだいぶ変わった。
野望から志にようやく変わろうとしている。
まだまだ野望の方が圧倒的に強いけど、
共感してくれる人を増やし、より大きなことを、
より勇気をあたえられるようなことをやりたいと思う。
怖いものなど何もない。
なんでもできる自信がある。

次の10年、少なくとも今の1000倍は大きなことをやっている自分でありたい。




福山 敦士
福山敦士 横浜生まれ横浜育ち。学生時代は野球部ひと筋。 小/中/高/大の全てで全国大会に出場。甲子園ベスト8。 日本一を2度経験する。日本代表にも選出される。 新卒でサイバーエージェントに入社。子会社の取締役に就任。 「リファラルセールス(R)」という独自の手法を使って、 新規の顧客開拓を自由自在に行えることが強み。 2016年に独立。現在は、会社を2社経営。 レーザービーム社ではBPOサービス、キャリア教育事業を主に行っている。
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